――――同調、開始




――――構成材質、解明



――――構成材質、補強




――――全工程、完了



















 手には、刃渡り5センチ程の果物ナイフ。強化を施したので、中々な強度になっているだろう。ちょっと、満足。
 場所は土倉、今日はたまたま早く起きてしまったから、ついでに魔術の練習をしていたのである。どうやら、今の俺は結構強いらしい。遠坂はふるふると震えて、あんたの魔力量一体どうなってんのよ、それ以前に何でその魔力が少しも外に漏れてないのよっ、と何やら怒っているようだった。なだめようとしたら、吼えられた。

「あ、先輩、ここに居たんですか」

 声に振り向くと、そこには桜が居た。あ、もうこんな時間か。
 ジーパンをぱんぱんとはたき、立ち上がる。遠坂に借りた赤い長袖シャツには汚れ無し、よしOK。

「桜、今行く。悪いな、朝飯用意し忘れちまった」
「いいですよ、もう作ってありますから。今日はお味噌汁に気合を入れてみました」

 おお、それは楽しみだと軽口を叩きながら土蔵を後にする。少し、この体とも折り合いをつけられてきたのかもしれない。ふと、そう思った。
 これも、桜や遠坂が色々と面倒を見てくれたおかげかな、と前を歩く桜を見てしげしげと思う。

「そうそう、先輩。もう少しで学園祭ですね、先輩のクラスは何やるか決まりましたか?」










―――――え?









‡‡‡‡‡‡













 学園祭、それは学校を挙げての一大イベント。

 色々と忙しかったり混乱したりしていたため、そんな事も忘れていた。いやまぁ、こんな状況になってしまったのだから、仕方ないよね。と誰にともなく確認する。
 何しろ、性別が反転してしまったのだ。それはもう大変な事だろう。一度、俺が家に帰ってきて以来ゼル爺も来てくれないし、果たして自分は衛宮士郎にきちんと戻れるのだろうかと不安になってしまう。というか、凄い不安だ。
 この体になってからもう少しで2週間となる。しかし、いつになっても女の子の体に慣れる気配は無い。それどころか、同学年の女の子と着替えを共にしたりするわけである。これはもう、心は男の俺は軽く意識を吹き飛ばしそうになった。何とか自分の体に折り合いをつけれるようにはなってきたのだが、他人のものとなると別らしい。

「はぁ」

 ついつい、溜息も漏れるというものだ。
 あぁもう、ストレスが溜まりに溜まっている気がする。今度食費など気にしないで思いっきり料理でも作ってしまおうか。

「どうしたのだ、衛宮。昼から陰気なようだが」

 弁当箱から目を離し、一成が私に問う。結局、弁当を作っていったあの日以来、今目の前にいる衛宮は衛宮しかいないと訳の分からない事を言って、下の名前ではなく、名字で呼ぶことにしたらしい。
 更に、これから弁当はいらない、と拒否された。少しショックだった。
 まったく、生徒会室で弁当を分ける事になるのだから、素直に受け取っておけばいいのに。

「あぁ、学園祭が近いって聞いてね。その事を忘却してるほどに近頃疲れてて」
「なるほどな、そろそろ話し合いやらが始まる頃だろう。生徒会も忙しくなる。それにしても、無理は良くない。体に負担を掛けぬようにな」
「ありがとう」

 何事も無い会話。衛宮志保は、衛宮士郎と同じ事を口にして、同じ事を考えている。衛宮志保は、衛宮士郎。衛宮士郎は、衛宮志保。
 あぁ、またこれだ。何かに飲み込まれていくかのような不快感。体の中を這いずる血液。頭に響く鈍痛。ずるずると、俺の中が蹂躙されていく。ワタシの体が、自己主張をする。

「ん、体調も少し悪いかもしれないな」
「衛宮、本当に顔色も良くない。一度保健室へ行ったほうがいいだろう」

 ん、顔色とか悪いのか。この体でぶっ倒れては何が起こるか分からないから、流石に休むべきか。

「食べ終わってから行くことにするよ」

 うん、何より今は目の前の弁当が先だ。食欲はあまり無くなっていたけど、食べなければそれこそ体力的にきつい事になるだろう。
 多少無理してでも、食べれる時に食べておいたほうがいい。それに、今日の弁当は桜の手作りだ。残すなど論外なのだ。いや、これは恐怖とかそういう意味じゃないから、ただ単に桜の事を思っての考えだから。
 あぁ、それにしても本当にだるいな。何で今になって急に体調が悪くなったのかな。ゼル爺め、定期的に見てくれるんじゃないのか。くそぅ。

「おい、衛宮。本当に大丈夫か?」

 一成の心配そうな声が聞こえた。それほど俺は具合が悪そうに見えるのだろうか? いや、実際悪いんだけどね。
 弁当の最後に残っただしまき卵を口に放り込む。よし、OK。

「うん、大丈夫。気にしないで良い」
「あ、あぁ、何だったら保健室に送るが」
「私の事は気にしないで。大丈夫だから」

 一瞬一成が驚いた顔をするが、意味が分からなかった。

 俺は、保健室に向かった。












‡‡‡‡‡‡












 結局、保健室に行った結果。特に自分の体に異常は無いと分かった。体温は正常、脈拍数も正常。
 5時間目を寝て休むと、不思議なことに体調はすっかりよくなっていた。では、一体あの苦しさは何なのだろう? 矢張り体が変わった事による障害か、それとも単にストレス疲れか。
 考えても仕方がないか、俺はどうせ考えるのに向いていないのだ。

「志保、大丈夫?」

 今、場所は保健室。保険教諭は職員室。
 あれ、何で遠坂がいるんですか。何で目の前に腕を組んだ遠坂が居るんですか。何でベッドから上半身を起こして起き上がろうとする俺の目の前に遠坂がいるわけですか。

「と、遠坂。何でここにいるんだ」
「何で、とはご挨拶ね。折角具合悪いって聞いたから来てあげたのに」
「あ、わ、悪い」

 遠坂が少し口を尖らせる。

「で、志保、ちょっと体調べさせてもらうわよ」

 軽く俺の理解力が悲鳴を上げる。理解力は悲鳴を上げる存在ではないと分かっているにも関わらず、悲鳴を上げる。ワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイ、遠坂凛が何を言っているのか、俺には理解できないしたくない。次いでこの事態をどうするべきかと思考力が戦いに出る。一体遠坂は本当にそう言ったのか、言ったのなら何と答えるべきか、どう反応するべきか。
 
「と、遠坂っ!」
「何驚いてんのよ、ただ、今の志保の体は私にとっては理解できないところだらけなんだから」

 調べるのも当然じゃないのっ! と胸を張る遠坂を見て思った。あぁ、なるほど、これが身体の危機ってやつか。

「遠坂」
「何よ」
「絶対に嫌だ」

 一瞬、遠坂の顔が沈む。
 そして、その顔は悪鬼のように、天使のような微笑を浮かべてこちらを見ていた。





 危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険死危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険危険。





 えまーじぇんしーえまーじぇんしー、遠坂さんがとっても怖いです。

「志保」
「はい」

 思わず敬語になってしまいます。それほどまでに今の遠坂さんは怖いのです。頭の中で警鐘がなります、逆らってはいけない。それは危険なものだ。

「私は、志保の事を思って、言っているんだけど、ねぇ?」
「はい」

 所々、とてもはっきり区切って読んでいるのが、とてつもなく怖いのです。それはもう、断崖絶壁で目隠しをされたまま走り回れと言われるより、それを実行するより、恐らく今俺は恐怖を覚えています。


「ほっほ、志保、大丈夫だったか?」


 あぁ、神様は本当に居たのですね。
 キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。何だかゼル爺がとても偉い人に見えました。いや、実際に偉いんだけど。
 ふぅ、と胸に溜まっていた緊張を吐き出す。何だか、ゼル爺が来ると遠坂の元気がなくなるのだ。
 いつのまにか、遠坂の背後、この保健室の出入り口にゼル爺は姿を現していた。趣味か何か知らないが、立派なつくりの着物を着ている。全体的に灰色、うっすらと白色で龍の紋様が浮かび出るという凝った装飾。何だか明らかに値段の張るものな気がする。しかしまぁ、随分とまた。

「ゼル爺、似合ってる」
「そうか? まだまだ儂も捨てたものではないなぁ」

 満足そうにゼル爺は鬚をさする。何だか、ゼル爺を見ると安心する。それもまた一種の暗示の効果なのか、それとも、ただ単にゼル爺が身に纏う雰囲気なのか。

「さて、遠坂の娘。何か言いたい事でもあったのではないか?」

 視線が俺から遠坂へと動く。遠坂の肩が軽く跳ねるのが見えた。どうやら遠坂は本当にゼル爺が苦手なようだ。偉大な魔法使いなのよとか何とか言われたけど、ゼル爺はゼル爺だし、それ以外の何だと言うんだ。

「い、いえ、大師父。何もありません」
「そうか、それは残念だ。儂は志保の体調に関する事でも聞かれるかと思うとったんじゃが、どうも期待はずれのようだな」
「え、いえ、私は」
「遠坂は俺の体調を気遣ってここに押しかけて来たんだ」

 ほぅ、と感嘆の声をゼル爺が漏らす。
 その様は着物に似合っていてとても貫禄があった。



 次の瞬間、頭を殴られたように強い衝撃。
 それは、ただの声によって引き起こされた現象。







「では、志保を借りてくぞ」












 
途端、全てが暗転した。
 暗い、暗い、暗い、暗い。

 闇に一つ、手をつなぐ感覚だけが残る。
 闇に一つ、手をつなぐ意思が流れ込む。

 決して離す事無かれ、決して離す事無かれ。





 ただ、その流れ込む意思はゼル爺のもので、とても安心できた。