「はぁ」
一体今日は家を出てから何度溜息を吐いているのだろう。もう、数える気にすらなれない。
楽しい、楽しい、学園祭。そのハズなのに、そのハズなのにっ。
「先輩先輩。バッチリカメラ持ってきましたから、頑張って下さいね」
「桜ー、トラウマが残らない程度にね」
遠坂が物騒な事を言う。そんな言葉にくすりと笑い、新品のデジタルカメラを手に本当に本当に楽しそうに嬉しそうに桜が笑う。
あぁ、やっぱり桜はこんな風に笑っているのが一番だ。
……。
……。
……一番なんだけど、何だろう、この不吉な予感は。桜の笑顔が、何処か歪んでいて、何処か恐ろしくて。
デジタルカメラをつつつと撫ぜ、愛しいものを見るかのように、顔に邪悪な笑みを浮かべ、ふふふと声を洩らす。怖い。絶対怖い。何だろう、笑顔で人を殺せるほどの笑顔だ。
「まぁ、俺は気が重いよ」
「あれ、志保学園祭楽しみにしてなかったっけ?」
「序盤はね」
俺を心配してか遠坂が声を掛けてくれる。実にありがたい。
我がクラスで行う出し物である『食い逃げ喫茶ローキック』は、何故かノリノリで計画されていった。最初は無理だろう、危険だろう、という意見も多かったが、というか一成が反論していたからだけど、何でか段々とその意見もしぼんでいってしまう。
今ではみんながみんな気合を入れている始末。運動部の男子はこの日の為に鍛錬を積み重ねてきたらしい。何考えてんだお前ら、とはその純粋な瞳の輝きの前では言う事が出来なかった。
男子はウェイターとして、夏服のワイシャツの上に女子が作った簡単なベストを着る。まっとうなウェイターさんが着るような服を着用。
女子はウェイトレスとして、去年使われた服の他に、足りない分は個人で作って補充。それを作る人員は自ら志望した人が集まるという事なのだけれど、何故か多くの人が志願していた。女の子はやっぱりこういうの好きなんだなぁ、って改めて思う。だって一回作り始めると。
「よし、私はゴスロリ系作るから、真っ当なところは頼んだっ!」
「OK! こっちは任せとけ」
「ゴスロリ系だとぅっ、私はそっちに回るっ。黒ロリ系なら私の領域さ!」
「ここ何の生地使えばいいと思う?」
「デザイン画どこー?」
「おっ、こんなの良くない? 経費? 全部学校持ちに決まってるでしょ」
「てかこれメイド服じゃん。誰だこのデザイン画書いたの、男子?」
「あ、それ私」
「あー、これ可愛い。でもこっちの綺麗系も捨てがたいよねぇ」
「……あのさ、ふと我に返ってみたんだけど、大半がウェイトレスの制服とかけ離れてるよねぇ」
何だか混沌とした戦場になっていたんだ。いや、女の子って服を作るとかそういうのに興味を持ってるんだなぁとは思うけど、他の組から来てる人も居るのは流石に驚いた。
だけど、だけど何故か俺は背筋に恐ろしさを感じた。何故だ、何故なんだと注視してみると、何処か皆の目が今の桜のような目に見えたのだ。くすくすごーごー。
「先輩? 何だか元気無いですよ、大丈夫ですか?」
あぁ、そんな事を思っていた自分が馬鹿に思えてくる。こんなにも、桜は優しいじゃないか。
「大丈夫。ありがとう、桜」
覗き込むように俺を見ていた桜が微笑む。さぁ、行こうか。
―――――いざ、戦場へ
‡‡‡‡‡‡
「衛宮さーん、ホットケーキセットまだー?」
「今出来る! 取りに来て」
学園祭開催30分後。
食い逃げ喫茶ローキックは予想以上の盛況を見せている。学園祭開始前から用意していた食べ物も人気商品はもう無くなっている程だ。
それに伴い、厨房の方はそこそこ忙しくなってきている。しかし、よくガスとか水道とか引っ張ってこれたなぁ。
「はい、これよろしく。追加注文とかは大丈夫?」
「うん、取り敢えずは一段落。飲み物とか足りなくなったから買出しに行った程度」
ウェイトレスの制服を着た級友にホットケーキセットを渡し、状況を聞く。どうやら一段落する模様、ふぅ、俺もそろそろ見回ってみようかな。
むしろ作りすぎたくらいの料理を見て、これなら俺が居なくても大丈夫だと判断。特に行くアテも無いからそこらへんでもぶらぶらしてよう。それだけで何だか祭りだーって気分になれる。
嗚呼、幸せだ。今、この瞬間、俺は幸せだ。
―――――何幸福感に浸ってるの、行く所があるでしょうに。
頭の中に声が響く。衛宮シホの声、度々毒舌だけれど結局は平行世界の俺な訳で、最終的に意見は一致する事が多いので、俺は衛宮シホの事を好意的に思っている。
常に誰かに見られているような不安も少しだけ感じるが、どうやら欠片となった衛宮シホは起きる、寝るという行為が可能らしく、必要な時にしか起きてこないのだ。
それに、俺を衛宮士郎だと自覚させてくれているのも、衛宮シホだ。衛宮シホの存在は、同時に俺を衛宮士郎と認識させてくれる。この体は俺のものではない、衛宮シホのモノ。そしてその体に間借りしている俺は衛宮士郎。
―――――悪かったな。でも、行く所って何処だ?
はぁ、と衛宮シホが溜息を吐いたような感覚。続いてそんな事も忘れたの、と叱責の声。
忘れた? 忘れたって言われても……、あ。
「ライダー、来るんだった」
―――――馬鹿。
思わず声に出してしまう。しまった、校舎の時計を見ると現在時刻は午前10時30分。ライダーが来る時間は、午前10時20分。待ち合わせ場所は学校の正門。
‡‡‡‡‡
時計を見る。10時32分、計12分程の遅刻の様子。息を切らせた衛宮志保が私に走り寄る。
「ご、ごめんライダー。喫茶店が案外繁盛して、遅れた」
「なるほど、つまりは私の事は忘れていたという事ですね」
「う、ごめんライダー」
本当にがっくりと肩を下ろすその動作を、私は少し恨めしく思う。だって、悪いのはそっちなのに、丸でこっちが悪い事をしているような気になってしまう。
それが衛宮志保の魅力であり、衛宮志保の武器。そしてその武器は相手、場所、時、それら全てを無視、更には本人の自覚も無しに行使されるため、余計に質が悪い。ほら、今だって私は気にしなくていいですよと言って、微笑んでしまっている。
―――――あぁそうだ、これが、幸せだ。
「ライダー?」
「何ですか、志保」
「いや、笑ってるから、何か面白い事でもあったのかなって」
何か、面白い事でもあったのか。答えはイエスだ。面白い、今この状況が面白い。
学園祭だ、祭りだと活気に溢れた場を見るのが、感じるのが面白い。面白い、面白い。そうだ、もっと面白くなる事を思いついた。
私は無言で、問答無用に志保の手を握る。よくテレビなどでやっている指と指を絡ませるステディな握り方でだ。志保が焦ったような声を出す。それだけでもそこそこ楽しいのだけれど、もっと楽しい事になる。
「志保。私は初めてここに来るのです。迷ってはいけないので、手を握りました」
「ぇあ、う、あ」
「さて、では桜と凛の様子を見に行きましょう」
この状態を見て、桜と凛はどんな反応をするかな。それを想像するだけで、何故か笑いが込み上げてくる。くすくす、わらって、ごーごー。桜の言っていた意味が今なら少し理解できるかもしれない。
そして私は、顔を真っ赤にした志保と歩き出す。てくてく、てくてくと、いくらか遅いと感じられる速度で歩く。
周りからの視線がいくらか過剰に向けられている気がするが、それだけ志保に人気があるということのなのでしょう。
「そういえば志保」
「ん、な、なんだライダー」
未だ戸惑っている志保に疑問を放つ。折角カメラを持ってきたのだ、桜の命令だけれど。
「服装はいつものままなのですね」
「あぁ、俺午前は厨房管理の方を任されたから。それも一段落した所」
「なるほど、志保がいつもと違う服を着るのは午後という訳ですか」
言うと志保が憂鬱そうに顔を伏せていた。あぁ、女の子女の子した服を着るのが嫌なのだろう。
しかし、それは私にとって許し難い悩みだ。折角体型が女の子らしいのだから、そういう服を着るのは当然だ。私のような背の高いものから見ると、それは酷く羨ましいことなのである。
少し屈み、がし、と志保の両肩を掴む。こちらを向かせ、瞳をしっかりと見る。その瞳は狼狽したようだけれど、しっかりと私を見返している。
「え、えと、ライダー?」
「志保、駄目です。志保は着なくてはならない」
「あ、あのライダーさん?」
「志保、冷静に考えてください」
「え、えっと、ライダーこそ」
「いいですか、今後そんな事言ってはなりませんよ。うっかり眼鏡がずれそうになってしまいます」
「は、はいっ」
どうやら納得してくれたようです。
矢張り誠意をもって話せば理解してくれるものですね。私は嬉しいです。
さて、何処に行きましょうか、まずは矢張り桜の下へ行くのが先決でしょうか。いえ、ここは敢えて凛の下へ行くのも良いような気がします。
「志保、桜と凛、どちらの下へ向かいましょうか」
「んー、取り敢えずは遠坂の様子見に行くか。出し物も平和そうだったし」
手を繋ぐことに慣れたのか平然と志保が語ります。確かに私は地理やら何やらに疎いです。ここは志保に従うのが最善の選択でしょう。
‡‡‡‡‡‡
「ちょっと、あれ、衛宮さんじゃない?」
「うわ、隣の人びじーん」
「いや、よく見るのだ!」
「なにぃっ、手を繋いでいるだとぅ」
「あぁ、しかもあの握り方は一般的な手の握り方とは違う」
「か っ ぷ る 繋 ぎ」
「やるねぇえみやん」
「ちょっ、誰かカメラカメラ」
「うはぁ、衛宮顔赤らめてるんじゃない?」
「あぁ、どおりで男に靡かない訳だわ」
「そっ、そんな。そっちの世界の人だったなんて」
「あんたも諦めなさいな。そういえば遠坂凛とも仲良いよね?」
「うん、桜とも」
「……」
衛宮志保、何気にピンチ。