あの娘は剣で出来ている。





Prologue







 どくんどくん、どくんどくんと、心臓が脈動する。

 体の内から焼ききれてしまいそうなまでの、鼓動。
 ココロには剣の丘を思い描き、大きく深呼吸をする。

 落ち着け、俺。
 落ち着くんだ。例え目の前の障害がいかなるものでも、俺は越えて行ける。
 でも、今目の前に立ち塞がっている障害は、何とも越えがたいものであった。

「ほらぁ、早く入りなさいよぅ」

 藤ねぇが俺を急かす。
 いや、そんな手を引っ張られても、心の準備が……。左手の平に人という字を3回以上書いて飲み込む。何度も繰り返したこの動作、飲み込みすぎて吐き気が催してきても良い頃だ。そうだ、どうにかして逃げ出せないものか……。

 ――――――いや、もう逃げてはいけない。逃げてはいけないのだ。例えどのような事になろうとも、しっかりとしなければならない。
 俺は、前を向いた。

「えっ衛宮志保と言います。えっと、よっよろよろしくお願いしますっ」












Oh! my sister!













 あっちゃぁ、思いっきり噛んだ。とてつもなく恥ずかしい、赤面してるかもしれない。
 場所は教室。生徒の視線が私に集まり、何だか悪い事をしているようで、落ち着かない。

「いやぁ、志保は可愛いねぇ。おねぇちゃん嬉しいよぅ。えっと、志保の席はどこかなー」

 藤ねぇはそう言いながらわざとらしく背伸びをし、三流コントみたいに額の前に手を翳して教室をきょろきょろと見渡す。いや、藤ねぇ、教師なんだからそこんところ把握しとこうよ。いや、藤ねぇが教師をやっている事に疑問すら覚えてきた。まさか権力を振りかぶり無理やり……!

「お、あそこあそこ。ほら志保、突っ立ってないでさっさと席に着きなさいな」

 ほらほら、と一つの席を指し示す。その様子を見るとそんな事を考えた私が馬鹿みたいに思えてくる。
 それにしても、俺の席がここだというのは、藤ねぇのあてつけか何かだろうか? その場所は、俺にとって見慣れた場所だった。ついこの間まで衛宮士郎が座っていた場所。衛宮士郎の席。何だかそう思うと、悲しさが表で泣き出し、愛しさが裏で笑っていた。
 そう、こうなってしまったのは一週間前の事―――――








 目が、 めた。今は   うか? や に光 まぶ い。
 そ に何だか ても眠 。だ ど、おかし な。何 どうな て    ?
 体 動  い。おか いな、体 重い。ま で酸素 足り い魚みた でひ く滑稽 。

「お、意識が戻りおったか。今までに無い方法だったから正直自信は無かったんじゃが、まぁ結果オーライじゃろ。ほれ、今はいいから眠れ。組み合わせたばかりでまともに体は動かんだろうに」

 誰 声だ? 歳を重 た うな、老人 よう 声。なん ろう、ひ く落ち く。
 段 と、意識 はっきりとして る。

「まぁ、ろくに動けないところを悪いがな。反論されても困るからこのまま簡単に今の状況を説明してやろう」

 今、 まの状況?


 ―――――――――――――――――途端、全てを思い出した。


「―――っ!」

 体に力が入らない。体に神経が繋がっていないような感覚。なのに、強い痛み。いや、そんな事はどうでもいい。
 一体あの後俺はどうなったのだ。そして、イリヤは、桜は、遠坂は一体どうなってしまったのだろうか。
 頭が混乱する。
 段々と、思考も鈍いものとなってくる。

「ほれほれ、ろくに動けん癖に頑張るからじゃ。説明してやると言うとるに、近頃の若者は言うことを聞かんな」

 周りは暗闇。
 自分というものを見失ってしまいそうなほどの、真っ暗闇。
 視覚など無いように感じる。しかし、聴覚はしっかりと、鮮明にその声を捕らえている。

「ずばり結果から言おう。お前の勝ちじゃよ、正義の味方。だが、お前は同時に自らを失ってしまった」

 あぁ、それは分かっている。
 では、今の俺は一体何なんだ?

「そこに、アインツベルンの聖杯が干渉したのだ。まさか失われた第三魔法までがでばってくるとは思わなかったがな。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは大聖杯の扉を閉めたのだ、と言えば分かりやすいかもしれんなぁ」

 イリ、ヤ。
 白い雪のような、無邪気で無垢で可愛らしい、俺の、妹。
 イリヤは最後に、飛び切りの笑顔を浮かべて行った。目の前でイリヤは行ってしまった。

「思えば、悲しい娘よな。モノとして作り出されたのが惜しい。というか、あんな孫欲しいなー」

 え、ちょっと、シリアス壊さないで下さい。

「まぁ、第三魔法の行使の結果、お前はこの世に留まった。しかし、それは留まっただけじゃ。結局あの娘の器ではお前を抑え切れなかった。どうやらお前は実は凄いとんでもない存在みたいだぞ。聖杯として作り出されたあの体に収まりきらず、溢れ出しておったのだからなぁ」

 溢れ出す?
 一体何を言っているのかワカラナイ。

「そこで、儂は思った。ここでこの素材を殺すのは惜しいとな。平行世界へ旅に出て、お前に適合出来る体を見つけ、人形師と共にお前を封じ込めた」

 封じ込める? だから、つまりは一体どうなってると言うんだよ。

「魔術師の資本は等価交換。そこで、命を助けたのと交換に、たまにお前の様子を見に来て診断を受けさせるということに決定する。否定権は無しじゃぞ」

 診断? そりゃぁ体がおかしくなったら受けるようなんだろうけど、それはこっちが感謝することじゃないのか?

「お前の魔術は些か異常。儂はそれを理解してみたくもあるのじゃよ。さて、ここでその大事な素材を殺してしまっては惜しいからな。大人しく眠りについてもらうとするぞ」

 途端、意識が落ちた。











‡‡‡‡‡












 士郎が居なくなってから、3日が経つ。何だろう、何か大きなピースが無くなったみたいだ。士郎の家で生活しても、少しも楽しくなんかない。
 桜なんかは1日ずっと気が沈んでるなと思えば、昨日からは妙に元気に振舞っている。桜、無理しなくていいよ、私はお姉ちゃんなんだから、泣いてもいいんだよ。
 それにしても困ったのは藤村先生だ。ひょっこり帰って来たかと思えば、開口一番。

「士郎は? 朝御飯食べたいんだけどー」

 緊張感を破壊槌でぶっ壊してくれました。
 しかし、これは結構大問題だった。死にました。何て言える訳もないし、第一士郎が死んでいる訳が無い。あのしぶとい士郎は今もきっと何処かで剣を眺めて悦に浸っているのだ。少し想像してみると、思いっきり危ない人だと気付いた。
 さて、結局士郎は今切嗣さんの知り合いが見つかったとやら大急ぎで出かけて行きましたよ。あ、連絡先聞くの忘れてました。などと誤魔化してみたのだが、藤村先生は予想外の反応を見せた。
 少し考えたように俯くと、顔に笑顔を広げて。

「何だー、士郎良かったじゃない切嗣さんの知り合い見つかって。何だかんだ言ってお父さんっ子だったからねぇ。でもでも、休みの申請とかしないのは駄目よ。うぅ、一言くらい言ってくれれば良かったのに。お姉ちゃん悲しいよぅ」

 その様は、大分無理をしているように感じた。藤村先生も藤村先生で、何か普通ではない状況に気付いているのかもしれない。
 気付いているかもしれないのに、何でこうも我慢するのか。本当は泣きたくて仕方が無いのだろうに、何で藤村先生も桜も、自分を抑えているのだろうか。

 これはもう全部士郎のせいだ。
 誰のせいでもない、士郎のせいなのである。
 自分で何を思っているのか、少し混乱しているかもしれないけれど、やっぱりこれも士郎のせい。
 全部全部全部、一人で背負い込もうとする士郎のせいなんだ。
 あぁもう、何だかそんなこと考えてると腹が立ってきた。マシンガンガンドの刑かな、死なない程度に。

「あ、遠坂。おはよう、今日は早いんだな」
「今考え事してるから、後にして」
「む、いきなりそれは酷いんじゃないか。何を考えてるんだ」
「士郎をどうやって死ぬ間際までいたぶるか考えてるのよ。ったく散々迷惑掛けて」
「と、遠坂。それ本気で言ってラッシャイマスカ?」
「当たり前よ。殺しても殺しても足りないくらいだわ」

 何を当たり前の事を聞いてくるのか。んー、血とかは魔力として得られるとして、中世ヨーロッパの拷問にどんなのがあったかなー。あぁ、ガンド撃つくらいじゃ物足りない気がしてきた。一体どうやってヌッコロしてやろうか。

「ね、姉さんっ」
「ん、桜? ちょっと後にして、今凄いダークな考え事してるから」
「姉さんっ!」
「何よもう、一体何の」

 言葉が、途中で止まりました。いや、これで止まらずして何で止まりましょうや。





―――――士郎に良く似た赤い髪の可愛い女の子が、そこにひょっこり座っていました―――――






「ん、何だよ二人して。俺の顔に何か付いてるのか?」

 そうおっしゃりやがりまして、ぺたぺたと顔に触れております。ハイ、小動物じみてて可愛いです。どうやら年齢は私達と同じくらいだと認識しました。
 士郎の着ていた長袖のシャツを着てやがりマスヨ。

 ……えーと、私の理解力ゲンカイトッパ! えぇと、目の前のこの御方は一体誰でおりましょうや? 何かやたら士郎に似ている気がするっていうか士郎本人に見えるのは気のせいとか気の迷いですか? 桜は何だか軽く頬を染めてくすくす笑いながらごーごーと呟いているのは気のせいでしょうか? えっと、私は今きっと爆発的に間抜けな顔をしているのは一体どういう事ですか誰か教えて下さいオーマイゴット。

「何も無いみたいだな。で、どうしたんだってば。折角帰って来たのに、何だか喜ばれてないみたいじゃないか」

 むー、とその娘は不機嫌そうに腕を組む。
 あぁ、分かった。








―――――この娘は、士郎だ―――――









 何で最初見た時に気付かなかったのだろう。いや、気付いていたのかもしれない。
 あぁ、あんなにあんなにあんなにあんなに、色々な事を考えてたのに。心配かけてこの馬鹿士郎って言って思いっきりぶん殴ってやろうと思ってたのに。



 そんなこと、出来るわけないじゃない。




「士郎っ!」 「先輩っ!」
「えっ、ちょっ、グボァ!」

 私と桜が同時に士郎に抱きつく。いや、抱きつくというよりはもうタックルしたと言うほうが正しいかもしれない。
 それはもう結構な威力でして、士郎は私達を支えきれず、畳に仰向けに倒れる。

「ちょっ、遠坂っ、桜っ、一回離れろっ!」
「離しませんっ! 先輩、もう離しませんから!」












 ガチャン











 不意に、そんな音がして振り返ると、そこには藤村先生が呆然とした表情で立ち尽くし、こちらを見ていた。
 先程の音の正体は、手に力が入らなくなり落としたかのようなスーパーの袋。


 今の私達の状況確認。

 まず、私と桜が士郎に抱きついている。桜なんてそれはもう情熱的に抱きついている。まぁ私もそれはもう情熱的に抱きついていると言っても良い。
 そしてまず次が問題点。あれ? この士郎って女じゃない?
 ちょっと傾けてみてみると、二人がかりで士郎に似た女の子を襲っているとしか見えない。実際士郎の服も少し乱れてしまっているし、言い訳はままならない状況。

 OK、状況確認完了。
 さて、藤村先生はそんな私達を見て驚いているのである。




「……ふふふ、くすくす笑ってゴーゴー」
「藤村先生それ私の……!」
「そういう問題じゃないでしょ! ほら、桜も早く離れなさいっ!」




 おお、大師父よ。何だか私の人生前途多難です。